昭和マニアの日曜日の夜は黄昏

少し不便な昭和時代の体験談と思い出の回顧録

ガンプラの洗礼と井田博氏とホビーランドMA

私が小学二年生の時に「ガンプラ」が発売されました。


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▲初代 ガンプラの代表選

兎に角流行りました。当時の小学生は、ほぼ全員ガンプラの洗礼を受けていたと思います。

TVではガンプラのCMがゴールデンでガンガン流れてましたね。

当時北九州市八幡東区荒生田のチンチン電車道路沿いに「ホビーランドMA」というプラモデル屋さんがありました。

地元の小学生は、ほぼここでガンプラを購入していました。

人気は「ガンダム」「シャア専用ザク「グフ」、その反対に「ホワイトベース」や「ムサイ」は今一人気がなく、持っているのはお坊っちゃんくらいでしたね。

親には「シンナー臭いから窓開けてやれっ!」と言われながらも、みんなでワイワイやりながら作って楽しんでいました。

ところで、最近知ったのですが、ここ「ホビーランドMA」のオーナーが井田博さんと言う方なのですが、この方日本のプラモデル業界ではめちゃくちゃ有名な方らしいのです。

日本初の模型専門雑誌「モデルアート」の創刊者であり、プラモデルを日本に定着させた1人でもあります。

ビビりましたよ。多分子供の頃会ってます。

エプロン着けて、いつもニコニコしたおっちゃんでした。

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当時はネットは無く、友達からの何処の店に何が入荷するなんて情報はプラチナもの。

みんな必死な思いで手に入れたガンプラは宝物でした。

でも不思議なんですよね。

あれだけの熱い想いで買った「ガンプラ」ですが、何処に行ったんだろ⁉️